自律神経を整えるために瞑想を勧めたら…
「自律神経って、自分で良くしていく事って出来ませんか?」
と、よく聞かれるので、やり方は色々とありますが、その人の状況を考えて、
「瞑想がいいですよ。」
と、アドバイスをする事があります。すると、最近になってから
「瞑想て危険だってネットにありましたが…」
このようなお返事を頂くことが増えてきました。何でだろうと思って調べてみると、
(瞑想によって、余計悩むようになった。)
(心の傷がよけいにひろがった)
(やればやるほど体調が悪化した)
瞑想をすることで、頭痛や吐き気を伴ったり、あるいは、ランナーズハイのように、とても気持ちが良くなるから、瞑想の中毒になってしまうとか、いろいろな事が言われています。
「瞑想もやり方によっては、危険を伴う」
なんて記事があったりしますが、瞑想のやり方って、ただ
【座って、目を瞑るだけ】
これだけなのに、やり方が色々とあると言う事が、根本的におかしな事だと言えます。
瞑想するのに、
「呼吸は鼻から〇〇秒吸い込んで…」
「〇〇をイメージしながら…」
とか、様々な手順があったり、
あるいは、願望が叶う瞑想法とか、自律神経が整う瞑想法といった目的を伴うものになりますと、これはもう瞑想ではなくて自己催眠の部類になります。
本来、瞑想とは悟りを開くために行われるもので、悟りを開くためには、執着を無くす必要があります。
人は、執着によって迷い、悩み、そして苦しむことをお釈迦様は説きました。
私もかつて、ドラクエをやっていて、ゾーマを倒す事に執着してしまい、眠たいのを我慢しながら深夜の3時とかまでやってしまった時なんか
「あぁ、なんでドラクエでこんな辛い思いをしてるんだろう…」
と、ゲームは楽しむはずのものなのに、なぜか苦しんでいる自分に気がつくときがよくありました。
まぁ、こんな事よりも地位や名誉、世間体など色々と執着するものがありますよね。
いづれにしても、瞑想するのに、ああだ、こうだと手順が色々とあってイメージさせたりなんかは自己催眠の部類になります。
この場合、手順がスムーズに行かない事で、苦しくなることがあります。
また、願望を叶えるとか、理想の自分にとか言ってしまっている、特定の目的のために行われる瞑想となりますと、これはもう、執着を助長させていますので、瞑想ではありません。
やればやるほど、依存心が強くなります。
黙って、目をつぶって、ひたすら悶々と理想を追求して、現実逃避をしていたら、それはだんだんと頭がパーになりますよ。
なので、瞑想は、座って目を瞑るだけ。
座っていて、腰が痛いだとか、背中が辛いとか出てきたら、
ただ、腰とか背中が痛い…と、感じている自分がここに座っているなぁー、つて受け流しましょう。
瞑想していて、もしも、気持ちよくなったとか、頭の中になにか見えたとか、涙がかってに出てきたとか、不思議な体験をしたら
ただ、気持ちよくなっただけ、ただ、頭の中に見えただけ、ただ、涙が出て来ただけと受け流しましょう。
え?こんな事をやって何になるのか?
もしかしたら、悟りが開けるかもしれませんよ。是非、瞑想してみて下さいね!
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